龍前院の歴史

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  懐島山龍前院の歴史について

 寺伝によれば、開山は約800年前、大庭三郎景親三世の祖良正が開基となり、僧道印が行 基菩薩の作による薬師如来・十二神将像を祀ったのが始まりとされている。古くは法相宗の寺であり、古義真言宗、鶴嶺八幡宮の僧坊から、曹洞宗寺院へとなっ た。また、正録護国禅寺と号したと伝えられる。

『諸末山寺格并反別覚帳』に

一、相州高座郡濱之郷 懐島山龍前院 印
  開山楞山和尚
  田畑六石四斗三升二合 御年貢地

とあり、山号は懐島山、開山は本寺宗賢院二世楞山周厳和尚であることがわかる。

『茅ヶ 崎市史3 考古・民俗』寺院一覧の中に、「もと鶴嶺八幡宮僧坊の一つであったが、『地誌』によれば、永正五年(1508)頃、宗賢院二世の楞山周厳によっ て曹洞宗寺院として再興された」との記述があり、永正五年に曹洞宗寺院として、再興された事がわかる。又、当院過去帳によれば、開基家は山岡家と伝えられ る。(開基 山岡庄右衛門尉景長)

慶安二年(1649)十月に朱印地を与えられた。『新編相模国風土記稿』に「御朱印九石三斗余(薬師領五石、寺領四石三斗)」とある。安置された仏像については、

本尊阿弥陀如来(本座像二尺許、江州三井寺より伝来)
薬師・十二神将(本像四尺八寸、行基作)

とあるが、過去帖に拠ると、明治二十四年七月二十八日夜におきた火災によって本堂が全焼し、本尊阿弥陀如来並びに薬師・十二神將は失われた。

明治十九年に当院三十一世大信活道和尚と檀家総代と共に作成した本院境内・寺領・諸堂宇・宝物書き上げのうちに

一、薬師如来 木像立像、   御丈五尺七寸六分 彫刻 行基作
  左右 日光菩薩、月光菩薩、御丈三尺四寸   右同断
一、十二神将 木像立像    御丈二尺五寸   右同断
一、勢至菩薩 木像立像    御丈二尺二寸   彫刻不詳

とあり(『郷土茅ヶ崎』上巻)、薬師如来は左右に日光・月光菩薩を配した、薬師三尊であることがわかる。また元禄十五年(1702)の『相模国郷帳』に寺社領として、薬師堂別当龍前院と記されている。(『寒川町史1』)。

本 尊阿弥陀如来座像が近江国三井寺(園城寺)から請来したことについては、当院過去帖には次のように由来が記されている。(三十二世活明良運和尚の記録) 「当院の本尊弥陀如来ハ慶長元年山岡伝右衛門景重氏カ三井寺ノ内光浄院ヨリ山岡家相継致スベキ旨当時ノ朝命ニヨリ三井寺ヨリ如来ヲ請シ持参有之当院ノトナ シ」とある。

天正十九年(1591)山岡景長は、徳川家康から相模国東部中嶋之郷八〇石四斗、浜之郷二一九石六斗を与えられた(山岡家所蔵 文書)。文禄四年(1595)景長は亡くなり、知行地円蔵村の龍前院に葬られた(『寛政重修諸家譜』)。子景高が家督を継いだが、翌慶長元年に早逝、その 遺跡を景重が継いだ。室町時代山岡氏は近江国勢多城主で、その祖資広は同国三井寺内に光浄院を創建した。以後、庶子が同院主になるのが例であった。景重も それに習い同院に入ったが、家督を継いだ甥景高が急逝したため、山岡家を継ぎ、同院を退院する際に阿弥陀像を譲られ、氏寺の龍前院本尊に迎えた。元禄十三 年(1700)山岡景顕が龍前院境内に建立した「山岡庄右衛門景長廟重立塔記」には、景長の弟は初め釈門に入り三井寺にいたが、欽命により甥景高の旧領を 景重が継いだとある。こうして本尊を山岡景重が三井寺から請来するなどして、龍前院は地頭山岡家の菩提寺となるにいたった。景顕は景長の廟所(塔)が銘文 も摩滅しているので、これを再興すると共に、景重七十七回忌に当たる元禄十三年に景重墓前に石灯籠を建立した。景重の墓塔は山岡家歴代墓にただ一基宝篋印 塔で造立されている。景重のあと景信が継ぎ寛永ニ年(1625)徳川家光から「相模国東部遠蔵村之内弐百廿石、中島村八拾石、合三百石」を安堵された。遠 蔵村は先に景信に与えられた「懐嶋之郷」で、円蔵村の事である。その景信を「当院中興開基」としている。また、山岡氏の5代目景忠は、早死にした弟景継の 供養の為に龍前院の梵鐘を改鋳した。元禄7年(1694年)の銘があり、第二次世界対戦中の供出も免れて、現在茅ケ崎市内最古の梵鐘として市重要文化財と なっている。

龍前院境内の山岡家歴代墓所には幕末までの一族の墓がおかれ、現在もその末裔とは交誼がある。また、本堂八尺間上に掲げられて いる「懐嶋山」の扁額は「黄檗木庵書」とあり、裏書に「相州高座郡円蔵村龍前院、延宝五丁巳二月日、自奉彫之山岡氏伴景輔」とある。当院過去帳によればそ の昔、木庵禅師が「錫ヲ当院ニ掛ケ給ヒシ」ときに揮毫したものと伝えられている。

龍前院の歴代住職は次の通りである。

開山楞 山周厳-暁堂元(玄)龍-松谷宗雪-聖庵泉祝-来久天撮-寛嶺周廓-愚渓如頑-異中通同-福山智厳-柏峰伝茂-地天元泰-哲宗友賢-定谷恵龍-義雲大耕- 源本明-宝州恵鏡-大悲恵聖-棹岸蘆舟-臥龍万橋-泰雲秀山-天仙安長-円山大規-金華倶胝-大龍賢道-敞連賢弘-万応大潤-放牛困剴- 参要禅-愚渓天 禅-転回玲珠-大信活道-活明良運-天雄寛龍-瑞巌喜芳-大鱗浩正(現住)

焼失前(明治十九年当時)の境内と本堂の現況記録(宗賢院誌より)
一、境内 六百二十三坪    官有地
一、境内大門 弐百八拾壱坪  同断
一、本堂 縦八間三尺 横5間三尺 茅屋
一、庫裡 縦4間 横2間     茅屋
一、総門 縦一間三尺 横一間弐尺 茅屋
(中略)
一、立木 五十本内 目道九尺以上  玉楠 壱本
目通一尺ヨリ参尺未満 松四十九本。

 

龍前院本末系譜

大本山総持寺:通幻開山 妙高庵

千葉県 総寧寺(関三刹)     

神奈川県 海蔵寺 足柄郡 早川村 

神奈川県 総世寺 足柄郡 久野村 

神奈川県 宗賢院     大庭村 

神奈川県 龍前院     浜之郷

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